第8回浮牛城まつりフォトコンテスト審査結果
2014年10月23日(木曜日)
民俗芸能かがり火公演に出演する招待芸能団体をご紹介いたします。
伊勢流黒岩太神楽(北上市黒岩地区)
演目 太神楽 めでた舞
黒岩太神楽は、文化三年(1806年)の由来書があり、慶長17年不来方城の東風が築造された時に奉納したと伝えられています。今年で200年以上の伝統を伝承しています。 黒岩太神楽は代々南部家に仕えていた人だけが伝承者として認められていました。このめでた舞は太神楽の副舞として、万歳・狂言と共に余興として踊り継がれています。
現在の太神楽講中は、昭和52年に師匠より伝承され現在活動中です。 このめでた舞は、昭和55年に黒岩小学校5年生を対象に、地域の伝承芸能に接して地域と共通の話題を共有し、地域の伝承芸能を理解し、黒岩地域を自慢出来る子供に育ってほしいと願い実行したのが始まりであり、稽古は冬休み期間一週間行い、6年生の一年間は太神楽と共に学校と地区の合同運動会・北上市夏祭り・敬老会・地区の芸能まつり等に出演し活動しています。太鼓は5年生全員、踊は6年生全員に伝承し現在活動中です。 このめでた舞は、黒岩小学校の全校生徒のマスゲームとして披露しています。
平成18年北上市無形民俗文化財指定
立花八士踊(北上市立花地区)
演目 槍踊(4番) 手踊(5番)
立花八士踊のはじまりは、当地方を南部氏が治めることとなり、それを祝う花巻城での宴に由来します。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置や太閤検地に反発し、一揆を起こした和賀・稗貫の郎党は、元居城であった二子城と鳥谷ヶ崎城を占拠しました。しかし、翌19年(1591)、再仕置により一揆は鎮圧され、この結果、南部信直が稗貫・和賀二郡を治めることになりました。 鳥谷ヶ崎城(花巻城)での祝宴の際、信直が家来に踊りを命じたところ、8人の武士が槍を持ち、刀を差して、輪をつくり声高らかに唄いながら踊りました。これを見た信直は大いに喜び、天下泰平、武運長久、五穀豊穣を祈願し、この踊りを「八士踊」と名付けました。その後、領民へと伝えられたことが始まりと云われています。 また、この地方に再度一揆が起きた際、これを平定した南部利直は、和賀地方に6体の観音を祀り、8棟の八幡宮を建て、天下太平を祈って八士踊を舞わせたところ、和睦により安寧がもたらされたとの言い伝えがあります。なお、昭和48年には八士踊ゆかりの地である鳥谷崎神社にて踊を奉納しております。
昭和57年4月5日付で踊りと衣装を含めて北上市の無形文化財の指定を受けております。 北上市みちのく芸能まつりには36回出演しております。
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